社会

全国へ広がる「ボンタン湯」、農家の後継者らによる革新的イニシアチブ

全国へ広がる「ボンタン湯」、農家の後継者らによる革新的イニシアチブ

10年前から銭湯で人気を博している「ボンタン湯」という冬季の風物詩が全国へと広がりつつある。このイベントは、大阪に拠点を置く銭湯の後継者たちが南九州・鹿児島県阿久根市の農家を訪問したことから始まった。そこで彼らは、地元特産のボンタンという巨大なかんきつ類を湯船に浮かべるという斬新な試みに触発されたのだ。

阿久根市は江戸時代から続く日本有数のボンタン産地で、昭和50年代には約550戸の農家がこの果物を生産していた。しかし、食生活や嗜好の変化と共に消費量が減少し、現在ではわずか20戸程度まで農家数は激減した。ボンタンの特徴である直径約20センチもあり、食べ応え十分だが皮が厚く包丁を使ってむかなければならないために敬遠されている。その結果、ブドウのように皮ごと食べられる果物が人気を集める現代社会では逆行してしまっている。

この状況に危機感を抱いた盛永直樹さん(42)をはじめとする若手農家が平成29年、ボンタンプロジェクトを立ち上げた。彼らの目的は、この地域特有で消滅の危機に瀕したボンタンを次世代に残すことだった。その一環として「風呂の日」(2月6日)に合わせて県内の銭湯で始められたのがボンタン湯である。

この取り組みは大きな評判を呼び、大阪の後継者たちが農家の境遇に共感し、次いで参加するようになった。彼らの発想では、風呂にボンタンを浮かべることで、農家への支援と銭湯の活性化が両立できると考えた。翌年には大阪7軒の銭湯がこの取り組みに加わり、さらにその後の年には十数人もが阿久根市を訪れてボンタンを収穫し、生産者と親交を深めた。

この活動が全国的な注目を集めるきっかけとなり、大阪のほか東京や名古屋、神戸など350以上の銭湯が参加を希望するようになった。ボンタン湯はその人気を全国へと波及させている。

需要増に応え、今年もボンタン湯のために約6000個が出荷された。「北海道や東北、上越から注文がある。雪景色の中で黄色い果物は映えますよ」と盛永さんは笑顔を見せている。

盛永さんは高校卒業後に鹿児島を拠点とする観光・ホテル事業の企業グループに就職し、その後ゴルフ場で働いたが接客業に苦手意識を持ち退社。その後実家の農家を継ぐことになった。

約60年前に整備された畑では、ボンタンとイヌマキが交互に植えられ、美しい風景を形成している。農業は季節ごとの作業が不可欠であり、毎年7月には実の日焼け防止のため袋かけ作業が行われる。しかし、物価高の影響で袋代も上昇し、結果としてボンタン自体の価格も値上がりしている。

新たな試みとして、枯れたボンタン木を加工した一輪挿しが販売されており、その独特なデザインは地球儀のように見える。これもまた、ボンタン農家が生み出せる唯一無二の商品だ。

需要減や低価格化から後継者が現れない厳しい状況ではあるが、「特産品を守り、その美味しさを広めたい」と盛永さんは力強く語る。日焼けした顔でアピールしながら、彼の思いは農家だけに留まらず多くの人々に届けられている。

ボンタンは鹿児島県阿久根市の「市の木」としても指定されており、江戸時代に漂着した中国船から伝わったという逸話がある。その名前も、船長が贈られた果物をもとに命名された。「ぼんたん漬」として知られる砂糖菓子などもボンタンの魅力的な一面である。このように、農家の革新的な取り組みと地域特産の保存が全国的なイベントへと発展し続けている。(北村博子)

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