20年以上前、医師であり作家でもある渡辺淳一氏が著したエッセー「鈍感力」は、ミリオンセラーを記録しました。この本では、「繊細さが美徳」とされていた価値観に挑戦し、「ある種の鈍感さこそ現代社会で生き抜く力」という考えを提唱しています。これは、渡辺氏が医療現場と人間観察から得た洞察に基づいており、多くの読者に説得力を持って受け入れられました。
近年はストレス社会とされる今日、「鈍感力」が必要不可欠であると言えます。この概念を脳科学の視点から考察することで、その重要性がより明確になります。
まずは敏感さがもたらす結果、つまり不安症に焦点を当てましょう。不安を抱える人々は通常、医師の診察や検査で説明を受けたとしても、同じ不安が何度も襲ってきます。また、知人からの情報やSNSにおけるちょっとした出来事に過剰反応し、不安から解放されないことがあります。「自分では理解しているつもりでもどうしても不安を感じてしまう」という状況です。このように、人間の脳は生存を守るために危険を予測しようとする仕組みを持っているため、不安は「脳の防衛システム」として進化の過程で発展した機能です。しかし現代社会では、この防御メカニズムが過剰に働くことで慢性不安が増加する傾向にあります。
脳の中で不安を感じる部分は偏桃体と呼ばれ、理性的な思考を司る前頭葉がこれを抑制しようとします。しかし前頭葉がその役割を果たせなくなると、人々は不安に悩まされます。
そこで注目したいのが、「鈍感力」です。この能力は、視床のフィルタリング機能を利用して外界からの余分な情報を脳へ入り込ませにくくすることで発揮されます。前頭葉は「気にする必要があるかどうか」を判断し、それ以外は意識しないようにします。このプロセスにより、偏桃体の不安感受性が抑制されます。
鈍感力が高いと言われる人々には特定の特徴があります。他者の意見や行動に振り回されない、小さなミスを気にしない、ネガティブ情報に過敏反応しない、集中力が高く、ストレスへの耐性も強いといった特性です。鈍感力は余分な情報を遮断し、脳が必要なことに集中する健全な状態を保つ能力であり、これがその本質と言えます。
渡辺氏の「鈍感力」では、慢性的な不安は心身のさまざまな問題を引き起こす危険因子であると指摘しています。常に不安が存在する状態は脳が「自分は絶えず危険にさらされている」と誤解することを意味し、本来なら避けられる病気のリスクを高めます。
心身の健康を保つためには、「鈍感力」を少しずつ鍛えていくことが重要です。これは慢性不安を軽減し、ストレス社会で生きるうえでのバランス感覚を高める手助けになります。この考え方を実践することで、より健康的で充実した人生を送れる可能性があります。(済生会和歌山病院副院長・脳神経外科部長 小倉光博)
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