長きにわたって群馬を拠点に活動する4人組ロックバンド「G-FREAK FACTORY(ジーフリーク・ファクトリー)」。30年目を迎える彼らは、音楽を通じて地域社会との強いつながりを築き上げ、周囲を刺激しながら群馬を盛り上げ続けてきた。その歴史と目指す未来に迫る。
「政治をやっているわけじゃないから、多くのことは変えられないかもしれない。でも、少なくとも誰か一人の心だけは変えられる自信がある」。今年3月、群馬県安中市で初開催された野外音楽フェス「DOMANNAKA(ドマンナカ)」の終盤、ジーフリークのボーカルを務める茂木洋晃さん(51)が観衆に語りかけた瞬間、会場は大きな拍手で包まれた。
バンドメンバーのうち、ボーカルの茂木さんとギタリストの原田季征さん(51)は安中市出身。彼らが実行委員会代表を務めるなかで、地元におけるフェス開催は初めての試みだった。茂木さんはこれまで小中学校へのヘルメット配布プロジェクトにも携わってきた。
「情けない故郷に愛を、限りない故郷に愛を」という歌詞が夕暮れ時の碓氷峠森公園に響くと、茂木さんは感極まった様子で音楽を楽しむ人々を見つめ、「日はまだ高く」という定番曲の合唱が会場に広がった。
ジーフリークは1997年の結成以来、群馬での活動を通じて「ここでもやれると証明したい」という強い意志を持ってきた。その原点には、茂木さんが安中市の新島学園中・高校を卒業後、米カリフォルニア州での留学経験がある。
既にバンド活動と将来の夢を模索していた茂木さんは、周囲から強い帰属意識を持つことの重要性を痛感した。自身も日本人であることを気後れし隠す時があり、「アイデンティティーを失いかけている」と悟った彼は、帰国後にジーフリークを結成。前橋市と高崎市のライブハウスを中心に活動し、県内外のバンドを巻き込んでイベントを続けた。
当時、群馬のインディーズバンドは横のつながりが希薄だった。ライブハウスの公演予定も空白ばかりであったが、ジーフリークが動き出してからは変わり始めたという。沢村達祥さん(60)は前橋のライブハウスで働いていた経験を持ち、現在は高崎の「the GROOVE TAKASAKI(ザ・グルーヴ・タカサキ)」を運営。彼は、「ジーフリークが動き出してから群馬の音楽シーンが活気づき始め、夏休みには連日公演が入るようになった」と振り返っている。
茂木さんの歌詞には郷土愛が溢れ、地元を意識した楽曲も少なくない。ジーフリークは2016年から前橋市で始めた「山人音楽祭」を全国区へと成長させたことでも知られており、安中市でのフェス開催も大きな決断だった。合併20周年に合わせた提案を受け、「失敗したら帰る場所がなくなる」という思いと共に、地域密着型のロックフェス開催への覚悟を決めた。若者が離れつつある地元に「諦めるのをやめ、選ばれる場所になろう」というメッセージを込めて挑戦した。
1年前から地元の仲間ら約20人で構成された実行委員会が準備を進め、市外から多くの来場者を見据え住民説明会も開催。祭りで使われていた山車も登場し、約2400人が集まる会場では高齢の地元住民が手を挙げながら楽しむ姿が見られ、「全国から多くの人が訪れる音楽の力を実感した。最高の盛り上がりだった」と安中市長の岩井均も評価した。
その後約半年、実行委員会はSNSで「ドマンナカ」を来年3月に再び開催すると発表。ホームページ上のメッセージには、「安中を、もう一度ド真ん中に。」と題されており、「地域に誇りが持てるように」というフェスの思いが込められた。G-FREAK FACTORYの30年間の歩みは、音楽を通じて群馬の文化と結びつき続けることで未来もまた切り拓く道になっている。
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