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立行司・木村庄之助さんの「軍配を置く日」に向けた歩みとその心得

立行司・木村庄之助さんの「軍配を置く日」に向けた歩みとその心得

大相撲界で最高位の立行司として知られる木村庄之助さん(本名:洞沢裕司)は、2023年10月に日本相撲協会から定年を迎えます。彼が生まれ育った東京都府中市での誕生から、この大きな節目に至るまでの長い旅路は、その一貫した情熱と努力によって支えられてきました。10月場所が終わりを迎える千秋楽の日、両国国技館で行われた結びの一番で最後の軍配を上げる姿は、多くのファンに感動を与えました(長内克彦報道)。

幼少期から相撲が大好きだった庄之助さんは1977年、元横綱で当時井筒親方として知られる北の富士さんに「行司になりたい」という夢を手紙で伝えました。この直接的なアプローチが功を奏し、両親と共に蔵前国技館(現在の両国国技館)で北の富士さんと会うことに。その場で入門が決まり、高校入学からわずか半年で中退し、11月の九州場所で「木村裕司」として初めて土俵を踏みました。

それ以来49年に渡る行司生活は、相撲の世界における厳格な階級制度を経験し続けてきました。2014年に三役格へ昇進し、2024年秋場所から式守伊之助を襲名。さらにその2年後の2025年初場所より首席行司として木村庄之助の名で活動するようになり、多くの取組で重要な役割を果たしました。

土俵上での彼の姿勢は、「先輩から教わった基本を大事にすること」と「平常心」を保つことです。これらは、勝ち名乗りや「待ったなし」の掛け声といった所作だけでなく、土俵際で力士の動きを見極める重要な技術にも表れています。特に優勝がかかるような試合では、「大一番だから」という考えはせず、一つ一つの取組を大切に裁くことを常に心掛けてきました。「どんな場面でも力士たちは厳しい稽古を重ねて土俵に臨む。それと同様に、私も一番一番を大事に裁くことが自分の課題だ」と庄之助さんは語ります。

三役格時代の24年には、「広報ふちゅう」1月号で地元府中市から取材を受け、国技としての相撲を支える姿が特集されました。今年2月には、木村庄之助襲名後初めて大国魂神社の「節分祭」に招かれ、高安関らと共に豆まきを行いました。地元で活動する彼にとっては、「子どもの頃、雪が降る中で輪島、魁傑、荒勢など人気力士たちを見て節分祭に参加したこと」が特別な思い出だと語ります。そのような舞台で活躍することに感謝し、地元の応援への感謝を表明しています。

北の富士さんから入門時に「君は行司に向いているね」と言われたその一言は、今も彼の心に深く残っています。これを胸に、「力士が何の武器も持たずまわし一つで正々堂々と戦う」相撲の魅力を伝え続けてきました。「途中でやめる仲間も多かったが、私はこれを人生の仕事だと考えて続けてきた」という庄之助さん。軍配を置く日が迫っているにも関わらず、「一日一日を大切にし、無事に務め上げることは毎場所変わらない。今回が最後だという実感は全て終わったあとで感じるもの」と淡々と語りました。

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